■先日、「福井 技の祭典」が行われ、当社も「技能選手権」に参加しました。
会場で時間内に石を組んだり、植栽をしたりして、
軽トラックの荷台に庭園をつくるというものです。
(非常にユニークな大会で、最近、全国的に行われているみたいです。)
当社からは若手のエースで、感性に定評のある清水順一氏が参加しました。
当社の作品は、人工的な「意図」を感じさせない自然風景をテーマにしたものです。
これは、日常的に行われている当社の庭づくりのテーマそのものでもあります。
このため前日に山にこもり、
5mはあろうかというムラサキシキブをおろしてきたりするなどの苦労もありました。
・・・桜や紅葉の季節に京都・奈良の名所に出かけて、
いわゆる「庭園」を鑑賞すると誰もが「良い」と感じます。
しかしそれは、非現実の空間であるからこその「良い」であると、
私には思われてなりません。
それが自邸の庭そのものだったとしたらどうでしょう?
同じように「良い」と感じる事ができるでしょうか?
造園家によって「庭園」がつくられた頃の京都には、
まだまだ手つかずの自然が多く残っていました。
その対比として、住宅や寺院には人工的な技術を駆使し、
意図的に自然の摂理を表現した「庭園」がつくられたのです。
その考え方はつまり、当時の最先端であったのです。
われわれは、あえて手つかずの「自然」の方を庭として再現したいと考えています。
なぜかと言うと、
現代に暮らすわれわれの廻りには人工的な「意図」であふれているからです。
その中にそっと自然を添えるような庭づくりを行う事こそが、今の最先端だと思っています。
そもそも人間には、直感的にありのままの姿を何より美しいと感じる潜在意識があり、
坪庭的欲求に訴えかけるよりも効果があると確信しています。
そして何より、忙しい現代人にとって庭の管理が楽だからです。
庭園の歴史は建築の歴史と共にあったはずです。
それなのに、庭園技術だけが置いて行かれているように思えてなりません。
「必要性」という部分では、建築の比ではなく、
故に思想や技術の進歩に乏しい世界である事も否めません。
しかし、人の暮らしや建築に寄り添って、庭づくりを行うというのが造園家の使命なのです。
それ自体は、今も昔も変わりません。
ならば、現代に求められている庭のあり方とはどういうものなのか、
造園を生業とする者が深く一考し、導いていく必要があるように思います。
/坂下晃司